君が無視してるだけで仕事はいくらでもある
先日仕事がないと愚痴を言う私にこう窘める社員がいた。私は今の職場に業務委託として関わっている。そのため定期的に依頼がかかる仕事を自分のキャパと相談して引き受けている。外注される仕事には当然波があり今は閑散期にあたるため、前述のような愚痴がつい漏れてしまった。確かに明示された作業依頼はなくとも都度社員に確認すれば様々な雑務があることも分かるし、モヤモヤしつつも自分の意識が低いよなとその場は反省の態度を示した。
人は誰かに献身している
最近では自分の職務範囲だけこなし定時退社するという考え方も支持されていて私自身そういう時代だよなと思っている。しかし職場では持ちつ持たれつだしもうちょい職場に献身してもいいんじゃないの?とも正直感じていた。だがこれは表面的な事実だけしか見ていないということに最近気が付いた。
彼ら彼女らは別に献身性がないわけではない。その職場が献身するだけに値しないと判断しているだけなのだ。この考えに至った時冒頭の「仕事がない」という私の発言は単に怠けているだけなのではなく、内心この職場に献身するのは嫌だと思っているだけなのだと思い直した。思い返してみれば期限ギリギリの仕事を善意で拾ったのに飲み会があるからと社員が先に上がってしまったことがあったり、体調を崩して休んだ人が復帰しても特別声をかける人はいない。そんな委託元にいつからか嫌気がさしてしまった。
人は誰かに献身している。それは家族で会ったり友人であったりそして自分自身に。先の定時退社は自分自身を大切に思い献身する一つの形なのだ。そう思いあたると現代人は冷たくなったという指摘は的を得ていないのかもしれない。自分に(ほどほどに)優しく人に優しくの精神でこれからも生きていきたいです。
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